この記事は約 4 分で読めます ( 約 2042 文字 )
- 更新
- テレビ
出川哲朗さんが若かりし頃、親の借金を返そうと思い料理人を目指します。
希望の料亭の料理人で弟子入りする条件で修行した場所だった尼寺とは、
どんなところで、どんな尼さんがいたのでしょうか?
村瀬明道尼さん 月心寺の有名な住職で出川哲朗を指導した尼さん
既に2013年にお亡くなりになりましたが、
2代目住職で有名だった尼さん「村瀬明道尼(みょうどうに)」
1924年の大正13年に愛知県の米屋に生まれました。
家族は子だくさんで9人兄弟姉妹の5人目でした。
愛知の尾張地方では「一子出家すれば九族天に生ず」という教えが伝わっていました。
それは、親族の中から一人でも出家すれば親族が救われるという教えです。
そこで、地元の寺から「兄弟姉妹の中から一人ぐらい出家させたら」と提案があり、村瀬さんは幼い9歳の時に尼寺・高源寺の弟子となったそうです。
立派な尼さんになるために、多くの農家を托鉢で巡る中で野菜の花や実を見たことが、精進料理の食材の旬を覚えることにつながっていたそうです。
出川さんが修行した時の「尼さん」です。
村瀬明道尼さんが60歳近くの年齢の時に出川哲朗さんが修行にきました。
実は、
このお寺はNHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の青風寺のモデルになっていました。
そして、
当時の庵主の村瀬明道尼さんも、主人公の師匠・桜井泉恵尼(野際陽子)のモデルでした。
2001年~2002年:NHK朝連続テレビ小説「ほんまもん」ストーリー
和歌山県熊野の育ちで、天才的味覚の持ち主の山中木葉。くいだおれの街・大阪で、「和食の究極」といわれる精進料理の料理人を目指して修行を重ねる中、さまざまな人生の師匠と出会い、人々にぬくもりを与える幸せの味を開眼していくサクセスストーリー。
ヒロインは池脇千鶴、母を風吹ジュン、元和食料理人の父を根津甚八、林業を営む祖父を佐藤慶、夫を海東健、精進料理の師を野際陽子
月心寺 出川哲朗さんが修行した尼寺
滋賀県大津市にある由緒ある臨済宗系のお寺。
月心寺(げっしんじ)と呼ばれています。
名称は「瑞米山 月心寺 」
昭和21年日に本画家・橋本關雪(かんせつ)さんの別荘を禅宗の寺にしました。
開山したのは村上獨譚(天龍寺慈済院住職)
月心寺の住職 村瀬明道尼さんのお人柄
尼さんで精進料理も心込めて作られる修行に打ち込んだ尼さんである一方で、仏教のしきたりを気にしないおおらかなお人柄だったようです。
尼さんなのに
好きな食べ物はステーキや豚カツ、ラーメンなど肉を食べて、更にお酒も飲んでいたそうです。
また年上の人に恋い焦がれるということもあったそうです。
そんな
破天荒な尼さんだったので、有名な白洲正子(随筆家)さんにも「一休和尚を女にしたような尼さん」といわれたほどでした。
そんな破天荒な庵主さんに試練が起こりました。
昭和38年に交通事故でダンプにはねられ大ケガを負い障害が残りました。
当時は、交通事故に遭った時に、報いかと思ったそうです。
そして右手、右足が不自由になりましたが、九死に一生のこの出来事から、今の自分を欺かず、今を精一杯生きるという心境になったそうです。
そして、その障害を負いながら精進料理を極めていきました。
出川哲朗さんが尼寺の修行を辞めて去る時に、泣きながら酒を酌み交わしたと言っていることも本当なのでしょうね。
2013年の平成25年に89歳の天寿をめされました。
ご著書
「あかん人」なんて絶対いない―型破り尼さんの“ヘコんだ心”に効く説法
月心寺の精進料理が美味しい訳
村瀬明道尼さんは「精進料理の明道尼」と呼ばれるほど精進料理に精通していました。
特に有名だったのが庵主さんが作る「ごま豆腐」でした。
その作り方は、朝の勤行の代わりに、ゴマを約1時間かけてお経をしながら心込めて修行の一部として擦っていたからです。
庵主さん曰く
また
具材となる野菜(大根やニンジンなど)も、おいしく食べていただくことで成仏するという気持ちで接しられたそうです。
料理の所作の一つ一つに、そして食材の一つ一つに魂を込めて精進していたからこそ本当の美味しさが表れていたのでしょうね。
そんな心境にでいた庵主さん。
その背景には後述する過酷な試練を乗り越えたこともあったのでしょう。
【まとめ】現在の月心寺は
出川さんが出会った庵主さんは今はいませんが、橋本眞次という方が代表役員として、今現在も精進料理を食べられるようになっています。
食べログより
お料理は完全予約制で予算はお一人1万円ほどです。
食べログでも評価が高いですね。
食べログ「月心亭」
【出川哲朗さん関連記事】