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出川哲朗さんの修業した尼寺はどんなとこ?どんな尼さん?

出川/修行/尼寺

 

出川哲朗さんが若かりし頃、親の借金を返そうと思い料理人を目指します。

その料理人の弟子になるために修行した場所だった尼寺とは、

どんなところで、どんな尼さんだったのでしょうか?

 

 

出川哲朗さんが修行した尼寺

 

滋賀県大津市にある由緒ある臨済宗系のお寺。
月心寺(げっしんじ)とよばれています。

名称は「瑞米山 月心寺 」

 

昭和21年日に本画家・橋本關雪(かんせつ)さんの別荘を禅宗の寺にしました。

 

開山したのは村上獨譚(天龍寺慈済院住職)。

 

そして既にお亡くなりになりましたが、
2代住職で有名だった尼さんに村瀬明道尼という方がいらしゃいました。

出川さんが修行した時の「尼さん」ですね。

実は、このお寺はNHK朝の連続テレビ小説「ほんまもん」の青風寺のモデルとなっています。

 

また当時の庵主の村瀬明道尼(みょうどうに)さんも朝ドラの中の料理人を目指す主人公の師匠・桜井泉恵尼(野際陽子)のモデルでした。

 

 

 

出川さんが修行したお寺の庵主さん

村瀬明道尼(みょうどうに)さんは愛知県の米屋に生まれました。

家族は子だくさんで9人兄弟姉妹の5人目でした。

 

愛知の尾張地方では「一子出家すれば九族天に生ず」という教えが伝わっていました。

それは、親族の中から一人でも出家すれば親族が救われるという教えです。

 

そこで、地元の寺から兄弟姉妹の中から一人ぐらい出家させたらとう提案があり
村瀬さんは幼い9歳の時に尼寺・高源寺の弟子となったそうです。

 

立派な尼さんになるために、多くの農家を托鉢で巡る中で野菜の花や実を見たことが、精進料理の食材の旬を覚えることにつながっていたそうです。

 

精進料理の明道尼

 

尼寺・月心寺の精進料理が美味しい訳

 

精進料理の明道尼と呼ばれるほど精通していました。

 

特に有名だったのが庵主さんが作る「ごま豆腐」でした。

その作り方は、朝の勤行の代わりに、ゴマを約1時間かけて心込めてすって修行の一部として作っていたからです。

庵主さん曰く

 

先代の住職村上独潭(どくたん)老師からも「料理とは命を預かる仕事であり、何よりも大切な修行」と言われていたそうです。

 

また、

 

臨済宗で有名な白隠禅師が説かれた「衆生本来仏なり」を思い、訪てこられるお客様を「生きたみ仏」として、心を込めて愛情が一つでも欠けたら、全てがダメになるという思いで料理を作っていたそうです。

そして

具材となる野菜(大根やニンジンなど)も、おいしく食べていただくことで成仏するという気持ちで接しられたそうです。

 

尼寺・月心寺の庵主さんのお人柄

 

尼さんで精進料理も心込めて作られる修行に打ち込んだ尼さんである一方で、

仏教のしきたりを気にしないおおらかなお人柄だったようです。

 

尼さんなのに

好きな食べ物はステーキや豚カツ、ラーメンなど肉を食べて、

更にお酒も飲んでいたそうです。

また年上の人に恋い焦がれるということもあったそうです。

 

そんな破天荒な尼さんだったので、

有名な白洲正子(随筆家)さんにも

「一休和尚を女にしたような尼さん」といわれたほどでした。

 

そんな破天荒な庵主さんに試練が起こりました。

 

昭和38年に交通事故でダンプにはねられ大ケガを負い障害が残りました。
当時は、交通事故に遭った時に報いかと思ったそうです。

 

そして右手、右足が不自由になりましたが、九死に一生のこの出来事から、今の自分を欺かず、今を精一杯生きるという心境になったそうです。

 

そんな障害を負いながら精進料理を極めていきました。

出川哲朗さんが尼寺の修行を辞めて去る時に、

酒を酌み交わしたと言っているのも本当なのでしょうね。

 

ご著書も出されて有名な方でした。

 

 

現在の尼寺・月心寺は

 

出川さんと一緒だった庵主さんはいませんが、

橋本眞次という方が代表役員としております。

 

ホームページ

http://gesshinji.jp/about/

 

今現在も精進料理を食べられるようになっています。

お料理は完全予約制で予算はお一人1万円ほどです。

 

食べるログでも評価が高いですね。

 

食べログ「月心亭」

https://tabelog.com/shiga/A2501/A250101/25003720/

 

 

場所は
滋賀県大津市大谷町27-9

 

アクセス
京阪電鉄/京津線「大谷駅」下車 徒歩 5 分
JR琵琶湖線「大津駅」下車 車 10 分
名神高速「京都東IC」から3分
大谷駅から404m

 

住所 : 〒520-0062 滋賀県大津市大谷町27-9
電話 : 077-524-3421(FAX無し)

出川哲朗さん尼寺で修行そして辞めた理由。だから今の芸人になれた訳。

 

2019年4月20日(土)の夕方からの2時間(19時54分~20時54分)の

「出川哲朗の充電させてもらえませんか?京都宇治から琵琶湖近江神宮」編で

 

出川さんが若かりし頃に尼さん二人だけで修行した尼寺に訪問して懐かしさに感激する場面が放映されましたね。

 

出川哲郎さん尼寺修行

どのような経緯で出川さんは尼寺で修行して、何故辞めたのか?そしてどのように今の芸人につながってたのか探っていきましょう。

 

 

出川哲朗さんの尼寺修行の理由・きっかけ

 

 

出川さんの実家はNHK総合「ファミリーヒストリー」でも放映されましたが、

横浜にある創業明治27年の老舗の海苔問屋に生まれて、

幼稚園の時にはベンツで送迎してもらうなど、

相当な裕福な暮らしをしていました。

 

ところが出川さんが高校生の頃に

父親が投資で失敗して借金を負ってしまいます。

 

そこで、高校卒業後に

料亭で一流料理人になって借金を返そうと思ったことがきっかけで、

尼寺で修行することになりました。

 

最初は親戚の方知っている京都の有名料亭を紹介してもらいましたが、

日本料理の登竜門的な料亭に素人は無理だという話になりました。

そこで

料亭と関連する尼寺で修行できたら入れるという条件となり、尼寺に住み込みで修行することになったのです。

 

 

 

出川哲朗さんが修行した尼寺の名前は?場所は?どんなとこ?

月心寺(げっしんじ)とよばれる臨済宗系のお寺です。

場所は、滋賀県大津市大谷にあります。

 

精進料理が有名なお寺でもあります。

 

その料理を「吉兆」創業者の湯木貞一さんが「天下一」と高く評価したことから、出川さんが働こうとしていた日本料理の料亭はは「吉兆」だと思われます。

 

 

出川哲朗さんは尼寺でどんな仕事をしていたのか?

 

出川さんは、尼寺では料理を作るということもなく、

主に掃除などの雑用をしていました。

修行の身でもあるし、半年・6ヶ月の短い期間であれば当然と言ったら当然ですよね。

 

ただ、寺での修行が認められ、料亭で働くことを許されたそうです。

 

出川哲朗さんが尼寺の修業を半年で辞めた2つの理由

 

実は出川哲朗さんの子どもの頃の夢はレーサー。
卒業文集には,将来の夢はレーサーと車好きの子供でした。

 

尼寺を辞めることになった動機の1つとしては

 

尼寺で修行し始めたのも、料理自体が好きでもなく興味もなかったことが直接の動機だったお思われます。

 

出川さん曰く

 

「修行中は尼さんと2人で生活すると期待をしていましたが、その尼さんはなんと60歳のおばあちゃんでした。しかも料理にもまったく興味がなく、おばあちゃん以外には話す相手もいないし気がおかしくなりそうでした」

 

と述べています。

 

 

18歳という若さなのに尼寺の修行で尼さんと2人きりの閉鎖的な環境、

 

そして

 

月に1度の休みは映画館や映画村の撮影で一日見て過ごしている生活の中で、

 

「自分はなにがやりたいのか」を考えるようになります。

 

矢沢永吉の著書「成りあがり」に影響も受けて、「役者になる」

 

と思いが定まったことが辞めた理由です。

 

目的だった料亭で働くことを許可されたにもかかわらず、
寺の庵主様に泣きながら土下座をして謝り半年で尼寺を去りました。

 

 


新装版 矢沢永吉激論集 成りあがり How to be BIG (角川文庫)

 

尼寺を辞めた出川哲朗さんのその後

 

尼寺修行→自衛隊→放送映画専門学院→役者→芸人

 

尼寺を辞めて横浜に帰ることになりましたが、

恥ずかしいのと住むところもないので自衛隊を受けて合格したそうです。

ただ親戚から諭されて、自衛隊には行かないで

半年お金を貯めて、演劇をするために

横浜にある横浜放送映画専門学院に入学して、

そこでウッチャンナンチャンなどに出会っています。

 

【まとめ】出川哲朗さんの尼寺修行に学ぶ

 

人の人生はわかりませんよね。

出川哲朗さんは、尼寺で半年修行することで「人生を深く考えるようになり」辞める程の熱い思いが湧いてきた。

 

そして役者を目指して、それが今の芸人につながっているのですね。

 

「辞めたくなるほど働く」ということも人生には必要なかもしれませんね。

 

捕捉になりますが、出川さんは当初は劇団を立ち上げて、そこの座長(リーダー)でウッウッチャンナンチャンも、そこの団員だった過去もあり、色々と頑張っていたのが良くわかりました。